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名のない心配症


 

2011年2月
カトリック三島教会
主任司祭
ファム・ディン・ソン

  新年を迎えるに当たり、「今年こそ良い年でありますように」と心をこめて祈りました。皆さんもそうだと思いますが、自分のためだけでなく親しい人々にも「良い一年」でありますようにと祈り、口頭や年賀状としてあいさつしたかと思います。 新年早々、世界各地が天災に見舞われて、たくさんの命が奪われました。北米では突然多量の鳥や魚が死んでいく。それを眼のあたりにした人々は思わず「世の終わりが近付いている」と叫んだそうです。 「良い」は「素晴らしい」ことである。
 しかし、人によって、考え方によって、価値観によって「良い」、「素晴らしい」という概念が変わっていきます。 私たちキリスト者においての「良い」、   「素晴らしい」とは何だろうか? ともにみつめながら、追求しながら、今年を「良い年」、「素晴らしい年」にして行くことが出来るように、皆さんにある話を紹介します。参考になれればと願っております。
  ある人が、地上の生活を終えた後、神のみもとに迎えられました。しかし、ある日、彼が地上で過ごしたいくつかの時代を再度体験したいと神に嘆願しました。
しばらく考えながら、「この人は変わった願いだな?」と神は思ったが、彼の嘆願を認めた。しかし、神が受諾したことを受けて、彼はさらに願いを続けました。
「神様、その都度の時代が終えたら、立ち留まって神様のもとへ帰り、いろいろな質問をすることができますか?」追加のお願いであっても神様は快く許しました。そしてこの男性は再び人間として地上に戻りました。 彼はまず学生生活に戻りました。毎日忙しく勉強に励みながらも時間のゆとりを忘れることなく充実な日々を過ごしている。しかしながら試験や受験に直面すると彼は他の学生の様に悩み、心配をしたりします。「試験に受からないのではないか?」「赤点を取ったらどうしよう?」「失敗したらクラスの友達に笑われる」などといろいろな心配、悩みを抱いていました。そして、彼は人生を一旦止めて神のもとに行き問いかけた。
「神様、なぜ私は試験や受験などでひどく悩み、心配し怖がるのですか?」 「それは、試験や受験だけが自分の人生だと考えて、周りの他のことを忘れているからだ。」と神様は答えた。 彼は再び人として地上に戻りました。このとき彼は青年になっていた。彼は恋人が出来、結婚し、子供が出来て幸せな家庭を築いていた。彼は大人として成長し、学生時代にいろいろな心配や恐怖のトラウマを乗り越えたかと思われました。しかし、彼の中においての心配や恐怖感が去っていくことなく、しつこく絡みついているようです。彼は結婚してはいたものの、妻が自分を裏切ることはないだろうか?子供たちの健康は大丈夫か?仕事がうまくいかなかったらどうしよう?ずっとこの仕事を続けられるのか?とさまざまな心配が彼に襲ってきます。彼はとても苦しく感じ、再び人生を止めて、神様に求めて問いかけました。
「神様、以前のような人生の過ごし方はしていませんが、恐れや心配がまだ私の中にとどまっています。苦しいです。どうしてですか」。 神様は答えた。
「あなたが心配や恐怖感を感じているのは、それらを失いたくない、永遠に所有したいからだ。これだけは覚えていて、何かを必死に守りたいならば、それを失う心配、恐れがさらに強くなる」。

彼は三度、人として地上の生活に戻り、この時点で彼は高齢になっていた。これまでいろいろなことにおいていつも心配や恐怖におそわれ、耐えながら過ごしてきました。年老いた今、いろいろな経験をとおして、人生に落ち着きいろいろなことを受け入れられるようになった。妻のことやこどもの心配はなくなったが、彼の心の中に柔和感がなく、心配や恐怖感の影がしこりのようにあるようです。今の彼は以前のように、「今日の糧や生活など」の心配ではなく、若い時に一所懸命に働き、いろいろな功績を残しました。あの輝きの時代を置き忘れられるのではないかと、また不思議に、彼はあの子供の時代、青年時代のような心配は今、味わえないことを心配、悩んでいるのだ。どうしてでしょうと自問し、彼は神様のもとに聞きに行くことに決めた。
「神様これまでいろいろなことで悩まされ、心配させられたり、恐怖に襲われたりしていたが、今は、それらの悩みや心配や恐怖を味わえないのはなぜでしょうか?」 神様は彼の顔をみつめてゆっくりと答えた。 「愛する子よ!いつまで過去の中に生きようとし、過去に戻りたいと思うなら、またいつまで先のことを考え、将来を自分が支配したいと思うならば、あなたはいつも悩み、心配、恐怖を抱くことになる。そこから抜け出すことが出来ないのだ。 私は過去も、将来もありません。私があるのは現在だけです。現在がないところには平安がないのです。このことをよく覚えておいた方が良いんだよ!」


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