三島教会エンブレム ECCLESIA SANCTAE FAMILIA MISHIMA
三島教会
Mishima Catholic Church
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教会の歴史
駿河湾と富士山

三島教会の成り立ち

宣教師

伊豆でのクリスチャンの歴史は古く、函南町柏谷の切支丹墓地には、故人の逝去年として永禄11年の文字が刻まれています。これは西暦に直すと1568年、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会士聖フランシスコ・ザビエルが来日した年から、わずか19年後のことです。

三島地区での教会の歴史は、1620年ごろに作られた伊豆教会から始まります。伊豆地方に分散していた信徒30名を、ポルトガル出身の宣教師、ベネディクト・フェルナンデス神父が発見し、伊豆教会として一つの共同体に纏めたとされています。
 神父が相模へ去った後も信仰は途絶えることなく、その後250名の人たちが洗礼を受けました。

幕府によるキリスト教への弾圧が激化する中、1628年、ついに伊豆教会にも大きな弾圧が加えられます。信徒数名が火刑に処せられ、残った信徒達は、愛鷹山奥、伊豆、御厨等に離散、潜伏していきました。

杯伊豆教会を作ったフェルナンデス神父は、伴天連(司祭)の服装ではなく、常に着物姿で名前も“知衛門”と名乗り、幕府の目明しの手を逃れ、神出鬼没に各地に現れてはさっと消えて、逮捕を免れていました。
 しかし、1633年の幕府による基督教弾圧によって、7月30日、ついに山口県長門(下関)周辺で捉えられ、その年の10月2日に長崎にて、逆さずりの刑に処され、殉教します。

第二次世界大戦後、フェルナンデス神父の拓いた伊豆教会の復活を願って、三島市に会堂建設予定地が整備されました。そして1953年4月29日、300年の時を越えて、ついに伊豆教会三島教会として復活します。

 その年の5月、三島教会はサクラダ・ファミリア(聖家族)に捧げられ、三島聖家族教会として、以降50年の歳月を歩んでいます。ロザリオ
 
 現在では、日本人のみならず、在日の英語・スペイン語・ポルトガル語圏等の人たちの心のよりどころとして、また日本のなかでの『多民族共同体』としての一つのモデルを示しながら、500人以上の人々と共に歩みつづけています。


( 参考および抜粋)
 
三島教会50周年記念誌(三島教会50周年記念実行委員会編)・三島教会50周年記念誌内『三島教会前史』(タルチシオ・マリア杉山利一筆)   
カット:橋本 摂


歴代の司祭


ファム・ディン・ソン神父
1963年 ベトナム・サイゴン生まれ
横浜教区司祭
在任期間 
2005年4月〜
ヨハネ・ボスコ森田義満神父
1944年静岡県生まれ
横浜教区司祭
在任期間 
2005年4月〜2004年4月〜2005年3月
アルベルト・ディ・ベッロ神父
1940年イタリア・ミラノ生まれ
ミラノ外国宣教会
在任期間 
2002年4月〜2004年3月
中村 吾郎 神父 
1961年 神奈川県生まれ
横浜教区司祭
在任期間 
1996年4月〜2002年3月
パトリック・スカリー 神父 
アイルランド南部 ケリー州生まれ
聖コロンバン会
在任期間 
1987年4月〜1996年4月
小林 陽一 神父 
横浜教区司祭
在任期間 
1983年4月〜1985年5月
ルシアン・メイヤー 神父 
フランス出身
パリ外国宣教会
在任期間 
1954年1月〜1983年4月
アメディ・スワール 神父 
パリ外国宣教会 
1953年  4月29日 三島教会創設
ベネディクト・フェルナンデス 神父
ポルトガル出身
イエズス会
1620年頃 伊豆教会創設
1633年(寛永10年) 10月2日 殉教
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