皆さん、はじめまして、4月から三島・熱海教会の主任司祭に任命されましたフアム・ディン・ソンと申します。どうぞ宜しくお願いします。
私はベトナム出身です。ベトナムは1975年に南北が統一され社会主義となり、その後、宗教弾圧や自由が制限される中で、私は1981年にボートピ−プルとしてベトナムを脱出し、難民として日本に来ました。そして1987年に横浜教区の神学生となり、1994年に司祭になりました。
新しい任地での生活は私にとって何もかもが新しいことばかりです。分からないことがたくさんあります。どうぞご指導のほど宜しくお願いします。
静岡県東部に位置する三島・熱海教会は海にも山にも近いところで、山の幸、海の幸が豊富で、特に魚、うなぎがおいしいと広く知られています。また、三島教会においては赴任前から「ユニークな教会」とうかがっております。それはどういうことかというと、ひとつの場所にいろいろな文化を持ち、国籍、言葉、肌の色などが違う人たちが集まり、いろいろな国の言語でミサ行っているということです。
今年の初め、日本カトリック難民移住移動者委員会は、カトリック新聞紙上でも現在の日本の教会における外国人信徒の人数を発表しました。それはびっくりするほどの数字です。これまで日本のカトリック信者の人数は45万人そこそこと、カトリック中央協議会が発表しています。しかし、今回の出された調査結果では外国人を含めると100万人をゆうに超えているということがわかったのです。日本におけるカトリック信徒が100万人時代に突入したことを意味します。
しかしながらこれらの外国人信徒たちは日本におけるカトリック信者としてまだまだ位置づけられておらず、教会にとってはお客様状態であるといえるかもしれません。教会とは神のもとに集まる人々のことを意味していますが、外国人信徒たちは大きなひとつの共同体の一員として考えられていないということではないでしょうか。
聖パウロは「わたしたちはユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと、自由な身分の者であろうと、皆ひとつの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」。だから私たち互いに支え合い、迷惑をかけ合って生きるのです。
教会は建物ではなく、そこに集まる人がそれぞれの違いを超えて「ひとつになる」ことこそ教会なのです。
カトリック三島共同体はこれからも神からの恵みを生かし、すべてを超えて、互い受け入れ合い、ともにという希望を持って、日々成長し、これからの日本の教会のモデルとして聖パウロのあとを歩んでまいりましょう。
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