去る6月、長野市松代町にある「松代大本営」を見学してきました。案内してくれたのは、現地の高校生です。彼らは、ここは『弱いものから犠牲になるという戦争の本質を示している場所なのでは』といいます。彼ら自身も、近代から現代へ至るまで社会が抱え続けている問題をそのまま反映している教育制度によって、傷つけられている犠牲者でもあります。そんな彼らが、この場所で命を奪われ、あるいは傷付けられた子どもたちや朝鮮人労働者たちを思ってたどり着いた結論として、重みをもった言葉として受け止めざるをえません。
さて、「松代大本営」とは、アジア・太平洋戦争末期に、当時の軍部が極秘のうちに掘った地下壕のことです。すでに敗戦は避けられない状況だったにもかかわらず、「本土決戦」を目論んで、大本営(戦争のときに天皇のもとで作戦を練り指揮をする最高司令部)、天皇・皇后および皇族の住まい、政府の諸官庁の主要部、NHKなどの報道機関などを、地下に掘られたトンネルへ移そうとしたのです。 ちなみに、多くの民間人を巻き込んで強行された、あの凄惨な沖縄戦は、「松代大本営」完成までの時間稼ぎのために行なわれたともいわれています。当時、‘捨石’にされた沖縄は、今も基地を押付けられ続けています。
掘られた地下壕の総延長は10kmにおよびます。しかし、ポツダム宣言受諾により日本の敗戦となり、全工程の75%の時点で工事は中止されました。
戦後、未完成のまま放置されていた地下壕ですが、地元の高校生が保存と公開を呼びかけ、1990年に部分的に公開されるようになりました。高校生たちは、その後も実地調査、聞き取り調査などを続け、今もガイドなどの活動を続けています。
この地を訪れてみて、『いったい、何を守りたかったのか?』そんな疑問を抱かずにはいられません。 「国体護持」(天皇を中心とした当時の国家体制を維持し続けること)のため、とよくいわれます。国民の生命と引き換えの「国体護持」と。しかし、皇位継承のシンボルである「三種の神器(じんぎ)」は、天皇の住まいとは別の場所に納める計画もされており、たとえ天皇が殺されても、それだけは守ろうとしたのです。つまり、国体護持は、天皇の生命を守ることでもないのです。誰の生命も守らないけど、システムだけを守ろうとするなら、何のためのシステムなのでしょう。
いったい何を守りたいのか、当事の権力者たちも分からなくなっていたのでは、そんなことさえ思ってしまいます。
『いったい何を守りたいのか?』。この問いは、今、最悪の結果として現れてしまった「原発問題」にぴったりと重なってみえます。この期に及んでも『原発を推進するしか道はない』と言い切ってしまう政治家、企業家、学者、・・・。負け戦を重ねながらもそれを認めようとせず、泥沼の状態に陥っても引くという決断をできなかった戦時の状況とそっくりではないですか。
福島とその周辺で起こっていることを直視しようとせず、あるいは過小評価し、あの事故は天災だから科学の力ではどうしようもなかったといいながら、科学の力で核エネルギーがコントロールできるとなぜいえるのでしょうか。
原料となるウランも有限な資源であり、そう遠くない将来に枯渇するそうです。一方、核廃棄物は、半永久的に放射線を出し続けます。誰がどんなに頑張っても責任を持てるはずがありません。原子炉は‘安全に’稼動している最中でも、高い放射線を浴びる危険を誰かが冒さなければ、維持・管理はできません。
たとえ事故が起こらなくても解決していない問題がたくさんあり、将来像も描けていないのに・・・。
『弱いものから犠牲になり、結局は誰の命も守らない』。これが、今起きていることの本質のように思います。
すべての命を尊び、大切にするという福音に照らしてみれば、選ぶべき道は必ず別にあると思います。
|