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2007年元旦
新年あけまして、おめでとうございます。 皆様の上に神様のお恵みが注がれますように。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。
カトリック三島教会主任司祭 ファム・ディン・ソン
1月1日は「神の母 聖マリア」の祝日であり、と同時に「世界平和の日」でもあります。
今年の
「世界平和の日」に、教皇ベネディクト十六世は「平和の中心である人間の人格」というメッセージ
を発表しました。
メッセージの中で教皇は「一人ひとりの人間は、神にかたどって創造されたがゆえに、人格としての尊厳を備えており、その人格の尊重こそ平和を促進する。そしてキリストに招かれた私たちは、平和と善を絶えず神に祈り求め、平和を築いていくように」と、呼びかけておられます。
亡くなられた教皇ヨハネ・パウロ二世も、2000年の大聖年に、「キリスト者は、神が愛ゆえに人との関係に入られたことを知っています。そして、神は愛を人からの応答として待っておられるのです。ですから愛は、人間の間に可能な、最も崇高で、最も気高い形態の関係なのです。愛は人間の生のすべての分野を活性化し、国際秩序にまで広がらなければなりません。「愛の文明」が支配する人類社会だけが、真の恒久的な平和を享受できるのです。」と述べられました。
しかし、昨年を振り返って見ますと、私たちが住んでいるこの日本をはじめ、世界中のあちらこちらで殺人事件(親が子を、子が親を…)、自殺、戦争、テロ等などさまざまな形によってたくさんの命が奪われ、人格がないがしろにされてきました。たいへん心が痛む一年でありました。
毎年、毎年、世界中の人々が、世界平和のために祈っているのですが、争いは一向に止みません。逆に増えている傾向を見せているように思います。 何故でしょうか?
「愛の文明」に生きることは人間にとってそんなに難しいのでしょうか?不可能なのでしょうか?それとも人間がエゴによって拒否しているのでしょうか?
マタイ福音書(マタイ15.11)の中に、
「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。」
とあるように、私たち人間の中に潜んでいる「私」と言うエゴが、自分を中心に、ものごとを考えているからではないでしょうか。「私」を中心に考え、周りの人々の人格を無視するならば、「金、権力、争い、テロ」などで「平和」を破壊し、人を傷つけるのです。
インターネットで「生きるヒント」という文を見つけました。参考になればと思います。
お金は家を買うことが出来るが 家族を買うことが出来ない
ベッドを買うことが出来るが 一眠りを買うことが出来ない
時計を買うことが出来るが 時間を買うことが出来ない
本を買うことが出来るが 知識を買うことが出来ない
薬を買うことが出来るが 健康を買うことが出来ない
血を買うことが出来るが 生命を買うころが出来ない
欲情を買うことが出来るが 愛を買うことが出来ない
今年も、皆さんとご一緒に平和について考え、祈り求めて行きたいと思います。
このメッセージは、2007年1月1日の御ミサで配布されました。(
メッセージのpdfファイル
)
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司祭のメッセージ2006年11月号
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