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メッセージ
濱尾枢機卿様を偲んで

 

2007年12月
カトリック三島教会
主任司祭
ファム・ディン・ソン

  11月9日の朝、起きてみると一枚のファックスがきていることに気づき、わが目を疑いました。「えっ…」それは横浜教区から届いた、濱尾枢機卿様の訃報でした。「嘘だろう!」という信じられない気持ちで呆然とし、その知らせをどう理解したらよいのか苦しみました。なぜなら8月に会ったばかりで、その時にはお元気そうでした。9月の研修では、枢機卿様がご病気になられ、入院されたものの退院されたとの報告があったばかりなのに、どうして…。私は枢機卿様の死をなかなか受けとめることはできませんでしたが、時間が経つにつれ、それは現実となり、とても残念に思いました。
 枢機卿様は私にとって父親のような存在でした。私は神学校受験の際に枢機卿様との面接(当時は横浜教区司教)がなかったら、司祭としての今の自分はなかったと思います。難民として母国を離れ日本に来て間もない頃、私は神学校に入りたいと思いましたが、当時の神学校はまだ外国人を受け入れていませんでした。その頃、私は交通事故に遭い10ヶ月も入院していました。ある日突然、私が所属していた教会の主任神父がお見舞いに来てくださいました。そして「濱尾司教があなたに会いたいと」伝えてくれました。嬉しさと不安が混ざり落ち着かなかったことを覚えます。数日後、神父様の車で病院から教会に向かいました。濱尾司教様にお会いして、神父になりたいという希望を話し、いくつかの質問に答えました。司教様が帰りの際に、書類を送るからそれに書いて私に送るように言われたのです。これが濱尾司教様との初めての出会いであり、私の司祭への第一歩でした。神学校進学後も、外国人神学生として苦労する中で、さまざまな支援や温かい励ましをいただきました。
 司教様は誰の時にもですが、司祭叙階式の折には必ず祭壇から降りて新司祭の両親に近づき、「有難う」と言っておられました。92年のことです。私の助祭叙階に先立ち、司教様は、当時出入国がとても難しかったベトナムに渡り、私の両親にわざわざ会いに行き、感謝の気持ちをあらわしてくださいました。  また、当時の司教様は難民定住委員会の会長を務めておられ、難民に心を痛め、いろいろな難しい問題に心を砕いておられました。私が司祭叙階した年に、私をその委員会に加えてくださいました。月に一度の会議でお会いする度、司教様が“難民”という二文字を背負っている人々の苦しみを本当によく理解して、日本社会におけるいろいろな問題の解決に尽力されていたのでした。  枢機卿様は気さくなお人柄でもありました。神学生合宿には必ず参加され、ともに食べ、飲んだものでした。お酒が好きで、お猪口を差し出すと、もっと大きいグラスに注ぐように言われました。また合宿では枢機卿様のお好きな釣り堀と温泉を楽しむのが慣例でした。ある時、釣り堀では「釣れない人は魚を食べられない」というルールをつくりました。枢機卿様はとうとう一匹も釣れませんでした。たくさん釣れた神学生に、「魚をよこせ」と言われていたのを思い出します。夜は大貧民というトランプに興じました。あの立派なお体はどう見ても大富豪にしか見えませんが、トランプでは負けて大貧民ばかりでした。都合の悪いカードを人からもらうと「あんた悪いねえ…。」と言いながら残念そうにしていました。いびきが大きくて、「みんなが眠れないから」と、いつも寝るのは皆の後でしたが、今思うと、深夜までトランプをして自分が最後に寝るように、心遣いをしておられたのではないかと思います。
 大きなお体をしておられたので、多くの方からダイエットを勧められていました。しかし、ある時こんなことを言われたのを思い出します。「私は人に招かれて料理を出されたら、全部食べるようにしているのだよ。残すと相手に悪いからね。すべて食べ終わると、相手はまだ足りないのかと、さらに料理を出してくれるから、また申し訳ないと思って食べるのだよ。」 心の底から純粋に相手を思いやる心遣いがある方でした。
 日本だけではなくアジアの難民や移住者をはじめ、弱い立場に置かれた世界中の人々の問題に敏感でした。AISA(横浜教区の社会問題についてのアジア研修会)横浜の会議をきっかけに滞日外国人の賃金不払い問題などの法的問題に取り組まれました。それは横浜教区が手がけたSOL(滞日外国人と連帯する会)の設立につながりました。
 2003年にバチカン主催の国際会議がタイで開かれた時のことです。私は日本代表として参加していました。議長を務めていた枢機卿様は懐の深さと同時に大きな存在感がありました。またアジアの人々は彼をよく知っており、多くの人から尊敬のまなざしを向けられていたのがとても印象的でした。 2006年、枢機卿様は定年とともに教皇庁難民移住移動者委員会を退任され、難民移住移動者委員会と正義と平和委員会が合併した時、私は残念に思うと同時に、実は密かに喜んでもいました。というのは、枢機卿様の大きな知恵袋を頼りにして、横浜教区の外国人問題に一緒に取り組むことができるだろうと夢見ていたからです。しかし枢機卿様はローマに残り、福音宣教省でのお仕事に携わっておられました。そのような中で訃報が来て、これまでの感謝の気持ちを伝える間もなかったことが悔やまれます。 しかし私たちキリスト者は、死が永遠の命の始まりであることを信じています。横浜教区におられた時から亡くなる直前まで、弱い立場にある人々、特に外国人の司牧に苦労し続けておられました。世界中を駆け回って働き続け、疲れておられた司教様の姿を、天国からご覧になった神様が、「もういいでしょう。あなたのやったことを息子たちに継ぎなさい。」と言われて、天に招かれたのではないかと思います。枢機卿様は人々とともに手を携えて共感することを心がけておられました。そこから始まる相手に対することば、行い、その他のいろいろな方法を遺して下さいました。これらのさまざまな財産を私たちが引き継いでいくこと。それが枢機卿様に対する感謝であり、恩返しになるのだと思います。
  枢機卿様、天に昇られても、どうか私たちをいつも励まし祈ってください。

 
 

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