カトリック教会において、1月1日は「神の母聖マリア」の祝日であり、と同時に「世界平和の日」でもあります。しかしな がら人間の歴史を振り返りますと争いが止みません。国、民族、家族、そして個人間で衝突したり不和が生じております。私たち人間は何のために生まれ、生きているのか? 確かに、それぞれ、より豊かに生きるために「生」に招かれているのです。 新年を迎えるにあたり、私たちそれぞれの場で小さな平和を築いて行きましょう。そのためにまずわたし一個人としての「生」を見つめ直すことから始めてはいかがでしょうか。 クリスマスに友人から頂いたお話を皆様に分かち合いたいと思います。ご参考になれば幸いです。
も し、もう一度生きることができるなら、私は不幸でいるよりも、もっと笑っていよう。これまでは自分の罪の深さや欠点を気にすることに時間をかけすぎた。欠点にこだわって、自分を追い詰めることに時間を浪費することをやめて、自分自身の幸せを見つめたい。そして私はもっと多くの時間をかけて受けた恵みを思いおこし、静かに人の苦しみを分かち合いたい。
もし、もう一度生きることができるなら、私は雨の中をゆっくりと時間をかけて散歩したい。そして私は高級なところではなく、貧しい人々のところへ足を運び、静かに身を潜めたい。若い人たちのことをもっと理解し、自分の視点から高圧的に意見を述べたり、指図することはやめよう。図書館や本屋に行き、インターネットを使い、多くの新しい知識を探し求めて学んでいこう。多くの時間を自分のためにならないことに浪費するのではなく、いい音楽に触れ、家族には父親として権威的に上から教え込むのではなく、愛情あふれる心で接していきたい。寛容な心をもつことを学び、敵に対して不幸を望むのではなく、愛の心と寛容さで接したい。私自身を縛りつけるのではなく、もう少し活動的になり、第一に無関心と迷いを減らしていきたい。そして、今までの私は机に向かっていろいろな発想が浮かぶ時、自分はその計画の中にいないつもりでそこに座ったままだったが、これからは「よし、試してみよう」とチャレンジ精神をもって行動したい。
昨年もいろいろなできごとがありました。良かったこと、悪かったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、成功したこと、失敗したことなど、さまざまな出会いがありました。しかし昨年のことはすでにあなたの背中の後ろにあります。新しい年を迎えるにあたり、過去のことを引きずらず、これらの経験をすべて土台にして、新しい年にはよりよい出会いとチャレンジがあることを願っております。
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