今年はもう11月ですが、秋の兆しがまだはっきりとしていません。地球の全体の形体が不安定のようです。 カトリック教会の典礼において、11月は「死者の月」を迎えます。教会の伝統において諸聖人の祭日や死者の日に因んで、典礼暦年の最後の月に当たる11月全体が死者の為に祈る月となりました。 「諸聖人の祭日」の次の日である11月2日は死者の日として亡くなった全ての人を記念します。毎日曜日のミサの中で「信仰宣言」においても、聖徒、生者、死者の三者が密接に関わっていることを信じそして宣言します。この11月が記念する「死者」の月を通して少しでもそのこころを悟っていきたいと思います。
死者を思うとき、私達人間はいろいろな縁で知り合った今は亡き方々を懐かしく思い起こしますが、親しい者が死によって神のもとに行くのだという事を頭では理解してはいるものの、もう顔を合わすことができない、お話しすることもできないと、いずれにせよ一様に悲しいせつないような思い、寂しさがひとしお込み上げてきます。
毎年11月2日から死者の月が始まります。特に死者の為に祈る月です。言い換えますと死者との交わりを持つこと、即ちすべての死者の為に祈ることは、逆に死者のほうから私達の為に祈り、助けて頂くこと、その交わりを意味しています。もっと端的に言いますと死者があって、はじめて私達が現に生きていられることを感じませんか。
死者にかかわる事は「祈る」ことしかありません、死者の為に祈る事がどれほど大切なことか、全世界のカトリック信徒はこの月を大切に思っていることは、死者を本当に大切に思っていることです。
「死者の月」は世界中のそれぞれの国において記念の仕方が違うようです。メキシコでは親しい者のお墓に集まって、食べたり、飲んだり、歌を歌ったり、踊ったり、祈ったりする習慣があります。私の母国ベトナムでは、教会の典礼の中で11月は最も忙しい月となっています。毎日のミサに死者のために捧げる意向が読み切れないほどです。
また、死者の月では亡くなった者のお墓に訪れ、主の祈り1回、聖母マリアへの祈り3回、栄唱を1回を唱えることによって、その霊魂が神のみもとに上げられると言われています。ですので、死者の月には墓地が人でいっぱいです。さらに、死者には祈りが必要です。そのために身内のない霊魂、いわゆる「無名の霊魂」がおられるので、特に祈る事を両親から教えられました。
今年も私達は死者の月を迎えます。「死は終わりではなく、生の始まりであることを...」信仰をもって心で受け止めながら、日々の生活の中で無関心ではなく、死について考え、思う事によって、今の生が豊かに生きることが出来ると思います。
キリスト者の信仰において「聖徒、生者、そして死者」との交わりをしっかりと見つめながら、私達の為に天上の聖人たちが祈って下さっていることを思い、感謝の心を持って死者のために祈りをささげる。こうした交わりを私たち一人一人が大切に保ちながら次の世代につなげていくことができるように努力していきましょう。
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